上杉謙信の全戦歴

上杉謙信の戦歴 上杉謙信(長尾景虎)

長尾景虎の同盟戦略

山内上杉家との同盟

  • 年代: 1540年代後半
  • 同盟相手: 山内上杉家
  • 目的: 関東管領職を継承し、関東での影響力を拡大するため。
  • 概要: 長尾景虎は、関東管領であった上杉憲政の要請を受けて養子となり、山内上杉家の家督と関東管領の地位を継承しました。これにより、関東地方での勢力を強化し、後北条氏や武田氏と対抗する体制を整えました

関東諸豪族との同盟

  • 年代: 1550年代以降
  • 同盟相手: 関東地方の諸豪族
  • 目的: 関東管領としての地位を強化し、後北条氏に対抗するため。
  • 概要: 上杉謙信は、関東管領に就任した後、関東地方の諸豪族と同盟を結び、後北条氏に対抗するための基盤を築きました。この同盟関係は、関東での影響力を高めるために重要でした。

越相同盟(えつそうどうめい)

  • 年代: 永禄12年(1569年)
  • 同盟相手: 相模の北条氏政
  • 目的: 甲斐の武田信玄に対抗するための軍事同盟。
  • 概要: 上杉謙信は、関東での勢力拡大を狙う北条氏と同盟を結び、武田信玄に対抗する体制を整えました。この同盟は、武田氏による信濃侵攻を牽制する目的がありましたが、北条氏政が後に武田信玄と再び同盟を結ぶことで解消されました。

濃越同盟(のうえつどうめい)

  • 年代: 1572年11月
  • 同盟相手: 織田信長
  • 目的: 甲斐の武田信玄に対抗するための軍事同盟。
  • 概要: この同盟は、武田信玄が西上作戦を開始し、織田信長の領地に脅威を与えたことを背景に結ばれました。信長は、武田信玄と敵対関係にあった上杉謙信と同盟を結ぶことで、武田氏に対抗する体制を強化しました。謙信にとっても、武田氏との長年の対立を考慮し、信長との同盟は戦略的に有利でした。しかし、信長が将軍・足利義昭を追放したことにより、謙信は信長に対して不信感を抱くようになり、同盟関係は複雑なものとなりました。


これらの同盟関係は、関東地方/北陸越後地方での政治的な駆け引きや軍事的な活動において
重要な役割を果たしました。

 

上杉謙信(長尾景虎)主な戦歴

上杉謙信は、その生涯において数多くの戦いを経験し、
その戦歴は彼の軍略家としての才能を示すものです。
謙信の代表的な戦いを年代順にまとめてみます。

上杉謙信

 

  • 1544年 – 栃尾城の戦い
  • 概要: 長尾景虎の兄である長尾晴景が越後の混乱を鎮めるために弟の景虎を栃尾城に派遣しました。景虎はまだ若年であったため、周囲の豪族たちは彼を侮り、栃尾城に攻め寄せました。景虎は少数の兵力を巧みに使い、敵の本陣を奇襲することで敵軍を混乱させ、最終的に勝利を収めました。この戦いで景虎は並外れた指揮官としての才能を示し、初陣を勝利で飾りました。
  • 勝敗: 長尾景虎軍の勝利

この栃尾城の戦いは、景虎が後に「越後の龍」として名を馳せるきっかけとなった重要な戦いであり、彼の軍事的才能を示す初めての機会となる。この勝利により、景虎は兄に代わって長尾家の家督を継ぎ、越後国の統一に向けて歩み始めたとされているが、1550年以前の戦歴は信憑性ある史実ではない。

 

  • 1553年 – 川中島の戦い(第一次)
  • 概要: この戦いは「布施の戦い」または「更科八幡の戦い」とも呼ばれています。武田信玄が北信濃へ軍を進め、村上義清の諸城を攻略しました。村上義清は葛尾城を捨て、越後国の長尾景虎を頼ることになりました。景虎は村上義清を支援するために兵を派遣し、北信濃の国人衆と共に反攻を開始しました。
  • 戦闘の展開: 村上義清と長尾景虎の支援軍は、八幡の戦いで武田軍を破り、村上義清は葛尾城の奪回に成功しました。しかし、武田軍は再び北信濃に侵攻し、村上氏方の諸城を落とし、村上義清は塩田城を捨てて再び越後国へ逃れました。
  • 勝敗: 和睦(決定的な勝敗はつかず)
  • 1555年 – 川中島の戦い(第ニ次)
  • 概要: この戦いは「犀川の戦い」とも呼ばれ、長尾景虎が武田信玄の勢力拡大を阻止するために信濃国へ出兵しました。両軍は犀川を挟んで対峙し、長期にわたるにらみ合いが続きました。景虎は旭山城の武田軍を牽制するために葛山城を築き、攻勢をかけましたが、大規模な戦闘には至らず、小競り合いが続きました。
  • 勝敗: 和睦(駿河国:今川義元の仲介)
  • 1557年 – 川中島の戦い(第三次)
  • 概要: 上杉謙信と武田信玄が再び川中島で対峙しました。両軍は犀川を挟んで対峙し、小競り合いが続いたものの、両者が互いに大規模な戦闘を避け、戦略的な駆け引きが中心となった戦いで決定的な戦闘には至りませんでした。
  • 勝敗: 和睦(将軍足利義輝の仲介)
  • 1559年 – 関東出兵
  • 概要: 長尾景虎は関東管領に就任し、関東地方の平定を目指して出兵。
    後北条氏との対立が激化する。
  • 勝敗: 引き分け
  • 1560年 – 小田原城包囲
  • 概要: 北条氏康の本拠地である小田原城を包囲し、関東での勢力拡大を図る。
    しかし、城の攻略には至らず。
  • 勝敗: 引き分け
  • 1561年 – 川中島の戦い(第四次)
  • 概要: 上杉謙信(当時の名は上杉政虎)が、北信濃の支配をめぐり武田信玄と対峙した。
    両軍は川中島で激突し、特にでの戦闘が有名です。
    武田信玄の軍師:山本勘助が、上杉軍に対して「啄木鳥戦法」を試みるが失敗、戦死します。
    謙信が自ら馬を駆って信玄の本陣に突入し、一騎打ちを演じた伝説もあります。
    戦術的には、上杉軍が「車懸りの陣」を展開し、武田軍を翻弄しました。
  • 勝敗: 引き分け(双方が勝利を主張)
  • 1564年 – 小田原攻め
  • 概要: 北条氏康の小田原城を攻めるも、攻略には至らず。
  • 勝敗: 敗北
  • 1570年 – 手取川の戦い
  • 概要: 織田信長の軍を手取川で迎え撃ち、大勝を収めた。
  • 勝敗: 勝利
  • 1574年 – 能登侵攻
  • 概要: 能登国を支配する畠山氏を攻め、能登を制圧。
  • 勝敗: 勝利

 

上杉謙信の戦歴は、彼の軍略家としての才能と、戦場での勇敢さを物語っています。特に、川中島の戦いは、彼の生涯における最大のライバルである武田信玄との激闘として、後世に語り継がれています。

謙信の戦い方・戦歴は、単なる勝敗だけでなく、戦国時代の複雑な政治的背景や人間関係をも反映しており、歴史愛好者にとって興味深いテーマとなっています。

 

エピローグ

ねえ、匠乃助。
謙信さんの戦歴って、まるでプロゲーマーの対戦記録みたいじゃない?
特に川中島の戦いは、武田信玄さんとの4回戦なんて、
まるで格闘ゲームの世界大会みたい!

そうだろ!奴の戦略は今でも十分通用するんだぜ。
さあ、みんなも明日から「謙信式バトルロイヤル戦略」で頑張れよ!

あたしも頑張るわ!
でも、匠乃助、あんた謙信さんみたいに戦略的に動けるの?
恋愛でも負け続きじゃない?

うっ… なんで牡丹姫が俺の恋愛事情まで知ってんだよ…

もう、しょうがないわね。
じゃあ、明日から一緒に「川中島式恋愛戦略」練習しましょ!
まずは、相手の本陣…じゃなくて、心に突撃よ!

おい、おい、俺はまだ手取川の戦いの段階だぜ
…って、そもそも敵がいねーよ!

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